陳博文 (1943.1.11~2005.7.4)

日本統治時代末期の昭和18年(1943)、台南県七股郷に生まれる。文化大学美術系(学部)第一期卒業生。学生時代、芸術に対する情熱と才能が花を咲かせる。とりわけ伝統的な水墨画では筆1本で天才的な才能を発揮する。卒業後まもなくインテリアデザイン分野と映画・テレビ美術分野で独自の世界を切り拓く。このような仕事の経験と洗礼が創作の視野を広げることにつながっただけでなく、自由自在に創作要素を操れるようになったという。

民国79年(1990)、彼の創作生涯において重要な転機が訪れる。まさに事業の絶頂期に達していたが、どうしても芸術創作に対する熱い思いと自分に対する希望を忘れきれず、果敢にもこれまで築き上げてきたすべてのものを投げ捨て、再び筆を執り油絵の創作に没頭する。寝食を忘れるほどの集中ぶりに、ともに写生をしていた画友も胸を打たれたという。人の心を震撼させるようなに絵の構想が完成する一方で、丈夫だった体も長期にわたる心労で病魔に冒されてしまう。医師の宣告を受けても、この頑固な芸術家は肩を落とすことはなかった。適切な治療を受けしっかり休養を取ってからというもの、神様から強靭な生命力を賜ったようにすっかり元気を取り戻した。次の健康診断の結果を見た後には、病気に苦しむ患者を元気付けることもあったという。確かに神様のお加護があったようだ。

人生の転換期を乗り越えて、彼の画風にも変化が表れた。やや陰のある絵を荒々しく、しかし洗練されたタッチで大胆に大きく描くことで、細かいところをカバーした。イメージどおりかどうかはそっちのけで、人の心をがっしりとわしづかみにする風格を立ち上げた。これこそがまさに陳博文が追い求める世界だった。だが、病状の悪化にともない、彼は芸術に捧げた人生の幕を閉じた。陳博文ならではの画風は今もなお人々に絶賛されている。